ある日、幼児の栄養改善事業に長く携わっている職員で栄養士のギルバートが事務所に帰るなり叫んだ。
「3歳の女の子の小さな菜園には、イサゲッ(ク)(補1)(伝統野菜の一種)が育っていた!」
「4年生になる姉の小さな菜園には、メイズ(主食のトウモロコシ)とキャッサバと豆が育っていた!」
プロジェクト(補2)では、地域保健ボランティアさんたちが幼児の食事調査と合わせ、衛生習慣や家庭菜園の推進を定期的な家庭訪問で丁寧に続けている。準備のための研修では、毎回新しい課題の指導方法を練習し、各自が担当家庭の現状に即した目標を立て、4から5世帯の家庭訪問に備える。研修担当のギルバートは毎回1人ないし2人を選び、家庭訪問に同行して実地指導をしている。これは彼のそんなある日の大発見だった。
3歳の女の子の名前はトゥルーフェラ。プロジェクトが毎月開催している2、3歳児向け親子教室にお母さんと熱心に通っている。1年以上になる。プレイサークルと呼ぶこの親子教室では、成長モニタリング(写真1、2)、
- 写真 1 お母さんと一緒に体重測定。地域保健ボランティアが素早くメモリを読む。
- 写真 2 体重と月齢から栄養状態を判定し、保護者に助言する地域保健アシスタント
親子の遊びの時間(写真3)、保護者向けの教育と情報の時間(写真4)、最後にその日のテーマをまとめるために考案した幼児の間食レシピの試食。
- 写真 3 お母さんとの遊びの時間(お手玉投げ)。二人の地域保健ボランティアが介助する。
- 写真 4 保護者のための時間。幼児がお絵描きをしている間に、農業局員が家庭菜園の工夫について話す。
例えば旱魃に強く栄養価の高い伝統野菜の栽培がテーマだった日には、家族の食事からとり置いたアマランサスの炒め物を少量、つぶしたバナナと混ぜ食べやすくしたマッシュなどを試食してもらう(写真5)。
さて、大発見とは何だったのか。
トゥルーフェラのお母さんは家族の栄養に配慮し、家庭菜園を8つの区画に分け、果物を含む5つのグループの作物を栽培している。プレイサークルに参加し、保健ボランティアさんが定期的に訪問するようになってからだ。この知識がない家庭では、畑はほとんどサトウキビやコーヒーといった換金作物で占められ、家庭菜園があったとしても栽培しているのは葉野菜を1種類というのが一般的だ。それでも、1月から3月の乾季には採れなくなる。
トゥルーフェラのお母さんが実践しているのは「8区画、5グループ」だけではない。幼い娘たちにミニサイズの家庭菜園を設え一緒に作物を育てているのだ。ギルバートは、こんなことをする親は見たことがない、と言う。毎日、その日暮らしに追われている親が、生活の単なる道具である家庭菜園というものを子供の養育の場として捉え、造り替えたのだ。まだ3歳のトゥルーフェラにとっては、お母さんと一緒に世話をする箱庭のような小さな菜園は、特別な世界を創り出しているに違いない(写真6)。そしていつの間にか、「家庭菜園では8つの区画に分けて、多種多様な作物を育てるものだ」ということを自然にみにつけ、それを実践する大人になっていくのではないだろうか。
トゥルーフェラと彼女の姉の菜園を合わせると、果物を除き4つのグループを満たす作物が育っている。穀類、芋類、豆類、そして野菜の中でも伝統野菜。多様な作物が家庭菜園で採れると、自然と家族の食事の質が向上する。栄養だけでなく、家庭単位での食料の安全保障にもつながる。
トゥルーフェラのお母さんはギルバートにこんなことを言った。「うちには牛がいないから、娘たちに毎日牛乳を飲ませることはできないけれど、家庭菜園で多様な作物を育てるようになってから娘たちは丈夫に育っている。」
トゥルーフェラの家庭は裕福ではない。お父さんは身体が不自由なため農業で十分な収入が得られないのでお母さんが日雇いの仕事で家計を支えている。家族で乳牛を一頭でも所有しているかいないかはその家庭の経済状態を知る目安になるのだが、トゥルーフェラの家族は持っていない。
HANDSでは幼児の栄養改善事業を2017年から実施しているが、貧しいがその家の子供がとびきり元気に育っている家庭に出会うことがたまにある。そんな家庭では、普通は幼児には食べさせない意外なものを食べさせていることがある。その地域では普通は食用にしないカボチャの種を上手に粉砕し、幼児の粥に混ぜて普段から食べさせているという例があった。母親から教わり、母親はその母親から教わったレシピだそうだ。このように、他と同じような状況にあり同じような課題を持っているがこれを他の人よりうまく解決することを、ポジティブ・デビエンス(略称ポジデビ)と呼ぶ。ポジデビアプローチは途上国の健康問題の行動変容を介した解決に活用されている(補3)。
トゥルーフェラのお母さんが作ったミニチュアの菜園には、家族の健康を守る家庭菜園の工夫を娘たちに伝える働きを秘めている。このプロジェクトでは、ポジデビと言えるのはこれで2つ目ではないだろうか。次回の研修では地域保健ボランティア達に、他の家庭にも幼児との楽しい活動として紹介してもらおうことにしている。(終わり)
(補1)和名:ふうちょうそう (Cleome gynandra )
(補2)「地域に開かれた幼稚園:ケニア共和国ケリチョー郡の幼児の栄養改善に向けて(JICA草の根パートナー型 2022年-2026年)」
(補3)ポジデビの参考サイト:https://www.ich.m.u-tokyo.ac.jp/research-topics/positive-deviance.html